2011年6月26日日曜日

本当に困ります 道案内を請われることは

こんなことは書きたくありません。失礼ながら書かざるを得ません。でも、こんな依頼がなぜ出来るのでしょう。
 おそらく被災地に近い教会だからということなのかもしれませんが、被災地に近い教会といっても最短でも30キロメートル近くあるでしょう。まして、宮古教会、新生釜石教会、大船渡教会、千厩教会の全てを訪問すると、少なく見積もっても350キロメートルの距離となります。(ちなみにこれは小職の仕える江刺教会からです)このような距離感と山間地域の道を移動することがどれだけ教師の負担となるか考えてください。車で案内を求めることがどういうことか。

 訪問者があるだけでも被災地の教会も牧師もくたくたになります。そのため 最初から、訪問しないで下さいと申し上げています。
 出かけなければわからないという論理は、遠く離れているから言える論理です。近くにいるものは、共に担うことで精一杯なのです。それなのに、近隣牧師に「案内してくれ」そんなことどうしていえるのですか。 
 内陸の教会の牧師たちは暇なのでしょうか。とんでもない内陸の教会も誰も彼も実は被災者です。疲れています。毎日の余震に、そして建物がひびだらけになっていく中、いつ補修にかかっていいのかもわからない状況の中で津波被災教会の支援には出かけています。そのことを続けながら、各教会員たちの声に耳を傾けることを続けています。それで充分ではありませんか。さらに案内などできるものではありません。 たとえ、どんなに親しい関係でも「案内を求める」ことが負担になるとは考えられませんか。
 どうしても出かけようと言うからには、自分でレンタカーでも借りて自分で走ってください。(出来ればいかないでほしいのです。)こんな言い方は傲慢に聞こえるでしょう。読まれて怒りをもたれる方もあるでしょう。なかには支援しているのにと思われる方もあるでしょう。最大の支援は、近隣牧師に依頼しないことなのです。 
 失礼なやつだと思われるなら、そう思ってください。
 でも、各教会の牧師は、各々の責任やプログラムを平常どうりこなしつつ支援を続けています。
 どうかご理解ください。
                                       奥羽教区総会議長  邑原宗男

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